香川

【香川県】皇踏山城 ①「謎の石塁編」異形の山城 これまでの経験を乱される 

いざ、小豆島へ

ついに、相棒のMINIと一緒に、女子旅でも人気の「小豆島」へ。小豆島と言えば、

こんなとか

こんなとかですが。目的地は、そこではございません。

「小豆島にも山城がある」
「皇踏山城と星ケ城という変わった名前の山城」
「2つの城とも本土のモノとは少し様子が違う」

という情報があり、この目で確かめようと訪れたのでした。すると、

山城Q
山城Q

謎が深まるばかり

な旅になったのです。

基本情報

 形態:山城 
 史跡指定:国の指定史跡
 標高:394m
 城の整備:登山道あり 
 所要時間:往復2時間
 訪問日:2020.03

駐車場 アクセス

八坂神社周辺に駐車場を見つけて停めさせていただきました。

地質を確認

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

地質を確認すると、あることに気が付きます。この色のパターンは、

山城Q
山城Q

高松周辺の山城と同じ

連載講座「古代山城屋嶋城跡から歴史と地域を考える(2)」2013.7.27 屋島のメサはどのようにしてできたのか?
香川大学工学部 長谷川修一氏 から抜粋

高松周辺の独特の地形。山頂に「讃岐岩質安山岩」が乗っかっており、その下の黄色い層は「角礫凝灰岩」、下層の基盤は「花崗岩」。

ご存じの通り花崗岩は、雨風にもろく風化が著しい。しかし、山頂に安山岩が水平に乗っかているために、周りの花崗岩が浸食されても、傘の下は崩れないでそのまま残る。

メサとビュートの違いは、硬い地層がテーブル状の形に残った土地を「メサ」、塔のように残った土地を「ビュート」とわけています。つまり、

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

高松周辺にある朝鮮式山城「城山城」「屋嶋城」と同じ「メサ地質」であるということが見て取れます。

鳥瞰図 縄張り図

この位置に看板地図があります。

この地図が一番、分かりやすいと思います。形としては、トンガッタ岬のような感じ。この感じは、屋嶋に雰囲気が似ていますね。そして、中央部にいろいろな防御施設跡があるようです。

なにやら、縦横無尽に石垣?が連続して続いています。そして、赤枠内に空堀・土塁・大手道・一の曲輪・二の曲輪・水の手曲輪等々の名称がみえます。事前調査では、この山城は「古代山城」「戦国時代の山城」「中世の山城」など様々な解釈がありますが、

山城Q
山城Q

詳しい城の経歴は「不明」

とのことです。とりあえず、登ってみることに

皇踏山の概略

もとは、「大戸山」とか「青門山」とか言ったようです。古くから「山城伝説」が残るらしいが、「まぼろしの城」だということです。

城域に入る

山城Q
山城Q

え!?

どこまで続く石積みが目に飛び込んでくるのでした。

何これ??

山城Q
山城Q

なんだこれは!!

城域に入るやいなや、謎の長大な石塁に気が付きます。もう、わけがわからずテンションMAX!一体、これはなんだ?どこからどこまで続くものなんだろうか。先が分からない。実はこれは、、、

「しし垣」という名の石塁群

これらは「しし垣」という石塁で、江戸時代に猪や鹿から作物を守るために造られたものだということです。小豆島にあるしし垣の総延長は百数十キロに及ぶというもので、「橘峠のしし垣」「長崎地区のしし垣」が特に有名とのこと。ここは山頂部1.5㎞程度です。

江戸時代の古記録にしし垣は登場する様子。寛政期のはじめ「里正村上彦三郎」という人物が、島40村落を説得し、わずかな期間での大工事の末に完成させたとの文献もあります。

島しょでの鳥獣被害は、現代人が思う以上にかなり深刻なようで、これに似た話は、長崎県「対馬」でもあります。江戸時代に「陶山訥庵(すやま・とつあん)」という奉行により農作物をイノシシの害から守るために、実施されたイノシシの全滅計画「猪鹿追詰(いじかおいつめ)」が有名です。

「陶山訥庵(すやま・とつあん)」。対馬藩の儒医陶山玄育の子として対馬府中(厳原)に生まれ、1699年(元禄12年)に第3代藩主宗義真の下で対馬藩郡奉行に就任した。「人よりも猪が多い」と言われた対馬で、10年の歳月をかけ、8万頭の猪を退治した。

対馬にある陶山訥庵のお墓
対馬にある陶山訥庵のお墓

実は、管理人は対馬を訪れた際、この「陶山訥庵のお墓」に訪れたのでした。本業上、この方の考え方を活用することもあるため、お参りしました。というわけで、

山城渡りQ
山城渡りQ

しし垣は、山城の石垣ではない

ということで、しし垣と山城は分けて考えるないと、本質を見誤ることになりそうです。

たまにこのような遺構があります。この用途はなんなのか不明。

とはいうものの、中世や戦国時代の石垣ではなく「しし垣」だと分かっていても、ちらちら目に入ってきて、非常に気になります。「やはり、もしかして、山城の石垣なんじゃないのか」と思ってしまいます。それほど圧巻のスケールです。

山城の石垣の視点からは外れますが、これを積んだ江戸時代の島人の努力は並大抵の物ではなかったはずです。しかし、年々、このシシ垣への関心は薄れ、開発や風化で人々の記憶から消えつつあると全ての文献で書かれていました。

山城渡りQ
山城渡りQ

非常に惜しい

当ブログのテーマは上記ですが、まさに「ツーリズム(目的をもった観光)」にあたり、このしし垣を見て歩くことがその土地の文化に触れる貴重な体験になると思います。

※参考文献(皇踏山城資料/猪垣遺跡考(斎藤忠)_日本古代遺跡の研究-論考編_1976)
 猪鹿垣遺構を残し伝えるために-(港誠吾)日本のシシ垣(高橋春成)_2010古今書院a
 皇踏山城資料/小豆島町の文化財P46,47

遠望

それにしても、ここの眺めはスゴイです。瀬戸内海は当然、中国地方まで見渡すことができます。

山城渡りQ
山城渡りQ

お!この感じは、どこかで見たことがあるぞ

香川県屋嶋城で見た展望台下の風景や、長崎県対馬の金田城でみた山頂の風景です。

長崎県対馬 金田城 山頂

まさにソックリ。映し方にもよるかもしれませんが、金田城も非常に展望がききます。

香川県 屋嶋城 展望台下

屋嶋城とは、同じ地質なので当然、似た感じです。う~ん、何か非常に

山城渡りQ
山城渡りQ

腑に落ちない

「謎の城」「まぼろしの城」「経歴不明の城」と言われるだけあって、完全に消化不良。

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

この各古代山城の立地条件、距離感との関係性も非常に気になります。

調査報告書を取り寄せる

この山城について、「中世の山城である」と世間の評価は固まりつつあるようですが、管理人としては、「何かもっと謎が隠されているのではないか」と興味をいだいたわけです。そこで、「一次情報にふれてみよう」と考え、「中世の山城である」という情報の出所を探ると、

上記の調査報告書の存在に行きつきました。そこで、本書が「AMAZON」で販売されているのを見つけ(AMAZONすげえ~)、早速取り寄せ、中身を熟読してみたのでした。すると、たくさんの新事実が判明しました。感想としては、

山城Q
山城Q

「当時の認識の限界」

「有名スーパーアドバイザーの存在」
「未検証部分の存在」

があるように感じました。特に、「有名スーパーアドバイザー」の名前を見た時は、おもわず「え!」と非常に驚きました。この方は、既に昭和60年頃には「業界有名人」であり、「中世城郭研究の第一人者」として活躍されていたことが伺えます。この方がこの山城を評価したら

山城Q
山城Q

戦国期の山城

になってしまいます。果たして、この山は一体なんなのか。古代山城なのか、中世山城なのか。「その2」に続く・・・

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