山梨

【山梨県】要害山城~躑躅ヶ崎館跡まで歩く「動」と「静」

基本情報

 形態:山城
 史跡指定:国指定史跡
 標高:780 m
 城の整備:登城道
 所要時間:約6時間(甲府駅からタクシー→要害山城~徒歩~躑躅ヶ崎館跡) 
 訪問日:2011年4月

山城好きなら一度は、憧れるであろう武田氏の本拠地。前日に東京入りし、そこから朝一でJR「あずさ号」に乗っていざ甲府駅!

Qさん
Qさん

わくわくが止まらない!

武田信玄公の像

有名な信玄公の銅像。本日は、お手柔らかにお願いします。

一路、「躑躅ヶ崎館」後詰の城「要害山城」へ

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日),https://gbank.gsj.jp/seamless より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

甲府駅周辺~北部の躑躅ヶ崎館周辺は、山間盆地や扇状地となっている

「人は城,人は石垣,人は堀,情けは味方,仇(あだ)は敵なり」

武田信玄公の名言です。だから、躑躅ヶ崎は「館」であり、居城を巨大城郭にしなかったとか。立地的にも扇状地なので、平城とかが向いているかもしれません。

しかし、すぐ背後にある後詰の要害山城は、地質も変わり花崗岩や安山岩が産出される高い山であり、万が一の備えは持っていたということでしょう。

要害山の遠望

ちょっと遠かったので、甲府駅からタクシーにて麓まで移動。

桜満開!平日なので人も少ない。

温泉もありますよ。名前はそのままですけど

Qさん
Qさん

たまたま桜のシーズン
スプリングな感じで、うららかな気候です

城域に入る

登城口

しっかりとした登城道です。ここを登ります。

すぐに、石積みが目に入りますが、積み方が斜めなので比較的新しいと思います。

道は、最初はつづら折りの坂を上ります。だんだん体が温まってきました。ダウンを着ていたので暑い暑い。

角を曲がり登っていくと

ようやく石垣遺構が見えてきました。

基本的にアチコチに看板が立てられており、登山者に丁寧な作りです。

枡形虎口 恐ろしい連続キルゾーンが始まる

Qさん
Qさん

キルゾーンに立ってすよ

枡形虎口が設置されている。正面や右側面は高い切岸。折れて真っすぐに進めない。大規模です!

不動曲輪

立派なお不動さんがおられます。江戸時代に出来た「武田不動尊」とのこと。

さらに登っていきます

次から次へと門防備の連続

両サイドに石垣があります。先ほどよりも守りが堅い!

さらに別の門。どんどん続きます

Qさん
Qさん

キルゾーンに立ってすよ

再び枡形虎口。正面に高い切岸

そして、ようやく主郭へ

めくるめく枡形防御をくぐりぬけ、ようやく主郭へ到着。その堅い守りに呆然。よくもまあ、これだけの仕掛けを作ったものだと思います。

ここに来るまで一体いくつの関門を越えただろうか角を曲がると門があったり、ハッキリって、「門に酔います」。凄すぎます。

主郭部は、それなりに広く、丁寧に腰石垣で囲まれています。

「武田信玄公誕生之地」東郷平八郎書の碑 とのこと

東郷平八郎(とうごう へいはちろう)日本の海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。各地の東郷神社に名を残す。位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。 日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。~Wikipedia~

ちなみに、東郷平八郎は「お城好き」だったようです。

戦国庭園跡

明らかに意図的に置かれた石があります。すぐに目を引きました。

その奥に続く 堀切跡と土橋

山頂の石垣ですね。土橋と堀切のセットです。ここは登山道のようでハイカーがどんどん奥に進んでいました。しかし、今日は他に予定があるのでここまで

要害山城から徒歩で躑躅ヶ崎館跡まで

Qさん
Qさん

さて、下ります

いったん下山したところ、ここは下り坂だと気が付いたので、ウォーキングで躑躅ヶ崎館跡まで向かいました。すると、いろいろ見どころが

お聖道さま

このようなものがありました。言い伝えって大事です。普通は、車だと気が付きません。ウォーキングならではですね。

要害山の時もそうでしたが、ちょこちょこ富士山が顔を覗かせます。地元の方にとっては当たり前でしょうけど、県外人にとっては、見ごたえのある風景

Qさん
Qさん

なぜ、富士山はこうも「ありがたい」のでしょうか

お屋形様の散歩道

また、ちょこちょこ富士山が顔を覗かせる!

いよいよ躑躅ヶ崎館跡へ

昔は、大手門が東側にあった。つまり、、、

現地の案内ではこのような配置です。武田神社へ目貫の参道が階段付きで走っています。見た感じは、小じんまりしたシンプルな作りです。神社もありますし。

この階段はよく見ます。必ずと言っても良いほど、紹介されていますが、しかし、

Qさん
Qさん

現場に行けば、何か必ず発見がある(MOTTO)

パンフレットを見ると驚愕の事実が!

この階段は後世の後付けだったのです。当時、階段など無かった。本来の大手門は主郭部の東側にあったようす。この地図には、多くの「馬出し」や曲輪自体が巨大な馬出しである「梅翁曲輪」など、細工が随所に見られ、堅い防備が見て取れます。

西曲輪の枡形虎口とか面白い。

正直、テンション上がりっぱなしで、案内看板とか隈なく読みます。武田氏時代は、もっとシンプルな壕って感じなのか。

「風林火山」と「昆」の軍旗!!!

Qさん
Qさん

絶対に見た方が良いですよ

まさか、ホンモノを見られるなんて。これが、あの有名な

武田信玄の「風林火山」
上杉謙信の「毘」

掲げて走ってみたい!

信玄公の御使用井戸

武田神社の西の西曲輪へ

深い空堀もあり、こちら側の方が「城」的な雰囲気がある

そして、みその橋まで

Qさん
Qさん

ごーーーる

まとめ

結局、合計6時間ぐらい歩きました。
とても楽しかった。要害山城は、ゴリゴリの山城で「絶対に落城させない」という武田方の意気込みがビンビン伝わりました。

山城訪問を始めたばかりですが、早い段階で来られて良かったと思います。躑躅ヶ崎館跡は、武田家時代は、本当に「館」だったのかもしれません。しかし、滅亡後の徳川期にかなり近代化されたように感じます。

造りが完全に「平城」でした。

両お城の存在価値を比べると面白い

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