熊本

【熊本県】近世宇土城 立地条件を考えると、近世宇土城の価値が見えてくる

基本情報

 形態:丘城
 城の整備:駐車場  
 所要時間:30分
 訪問日:2018年1月

駐車場 アクセス

地質

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

この二つの「宇土城」は、地質は違うようです。宇土古城がある場所は、安山岩・玄武岩層のようですが、宇土(新)城がある場所は、段丘堆積層とのこと。城の造りからすると、「それって逆じゃないのか」と思いました。

おそらく、この城の石垣は左の黄色層の場所から持ってきたと考えられます。

段丘堆積物層です。

小西行長という人

西側の宇土古城と比べて、近世宇土城は、石垣作りのかなり立派なもの。

城域に入る

本丸周辺 清正時代の石垣

が、しかしながら、これらの石垣は、小西行長亡きあと、加藤清正が隠居城として築いたとあります。
だから、この感じは熊本城に似ている気もしますね。なるほど。

山城Q
山城Q

この折れの傾斜具合が熊本城っぽい!?

天草五人衆との関り

それにしても、この宇土という場所は、かなり重要な戦略的ポイントだということが分かります。ここは、当時、最新で最先端であった天草諸島の入口であるわけです。

天草には、「天草五人衆」という
天草氏
志岐氏
大矢野氏
栖本氏 
上津浦氏
がそれぞれ居て、文化面でも相当に優れていたと考えられますし、なかなか宇土古城では、心もとなかったでしょうね。

結局、1589年にこの城を築城したようですが、同年には、天草国人一揆で反乱ですから、同じ切支丹の小西行長は複雑な気分だったと思います。

・立地条件を考えると、その戦略的価値が見えてくる

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