福岡

【福岡県】怡土城 中国式山城 高祖城 戦国山城1粒で3粒楽しめる 古代編

基本情報

 形態:山城 (怡土城:中国式山城 高祖山:戦国山城)
 史跡指定:国の指定史跡
 標高:416m
 城の整備:登山道あり 高祖神社→高祖城ルートは、急登覚悟
 所要時:1周すると4時間ぐらい掛かります
 訪問日:2023.3

今回の訪問は、

山城渡りQ
山城渡りQ

非常に満足のいく

山城巡りとなりました。かれこれ、戦国山城や朝鮮式古代山城はいくつも登って来ましたが、「中国式山城」って聞くだけで、ワクワクします。やはり、戦国山城とは全然違いますし、山の斜面にタスキを置いたような縄張りのため、城内が見えない朝鮮式とも違います。

朝鮮式で見るような神籠石のような物はありませんし、水門もありません(現在は見つかっていません。排水口は見つかったようです)。「吉備真備」が「対新羅戦」のために768年に築城と明確ですし、「あ~確かに中国とかにありそう」という気がしました。

駐車場 アクセス

高祖神社の駐車場を使うことが出来ます。トイレも完備。しかしこの場合は、高祖神社→高祖城を目指すことになりますが、かなりきつい登山となるため、体力を消耗します。

ロープ場あります。ですので、時間に余裕があれば、

駐車場

登り口

老松神社(高来寺)に数台停め、第五望楼側から登った方が楽しく登ることが出来ます。

地質 周辺環境

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

地図を見ると、この怡土城の立地が博多湾を見張るのに、ちょうど良い見晴らしの良い山城ということが分かります。他にも戦国期の立花山城もとても良いの場所です。

怡土城は花崗岩質、立花山城は花崗閃緑岩です。ですので、トンガッタ感じの山ということになります。花崗岩は劣化しやすく、マサ土も多くあります。

望楼や見張り台の位置を合わせてみると

現地に行けば、個人的な発見が必ずあるものです。今回、事前調査では、5ケ所の望楼の存在は分かっていましたが、その望楼と望楼の間を繋ぐ「見張り台」か「中継拠点」のような場所を確認することが出来ました。登山ルートから外れて列石を追うと見つけることが出来ます。

これら望楼と見張り台の設置場所は、列石の角に当たる場所に造られており、どれも博多湾や今津海岸側を向いています。これは相当の警備がひかれていたということが伺い知れます。

山城渡りQ
山城渡りQ

厳重な警戒が伺い知れます

引用元:国土地理院ウェブサイト(当該ページ)を当ブログ管理者Qさんが加筆修正したものである(スマホで拡大可能) 

特に、望楼と見張り台?の位置を見てみると、どこが重要ポイントなのか自然と見えてきます。

縄張り図 現地看板

高い土塁

城域に入る前に、目に入ってくるのは、この土塁です。版築技法で造られたのでしょうか、高さは5mはあります。非常に高く、侵入者を拒みます。登り手としては、期待が膨らみます。

古代 城域に入る

高来寺ルートから

いよいよです。道はハイキングコースとしてしっかり整備されており、登りやすいです。当日も他の登山客と同じタイミングで登り始めました(しかし、私の方は写真を撮るので、おいて行かれました)。

第5望楼跡

10M×10Ⅿ程度の構造物があったでしょう。楚石も大きく、建物の大きさも想像できます。博多湾に攻め入る軍船を監視するために造られたとのこと

土塁による尾根道

西側は約2キロに渡り土塁が造られており、このような尾根道を進むことが多いわけですが、その高さに驚く。

山城渡りQ
山城渡りQ

さすが、国家プロジェクト

と感じました。一大名では無理な規模です。

「緋縅石(ひおどしのいし)」と謎の竪堀

道沿いにひと際目立つ、大きな丸い岩がありました。「緋縅石(ひおどしのいし)」というようです。しかし、気になったのはその下にある竪堀です。これはどいう意味があるのか。

ここは、城内です。城内なのに、なぜこのような竪堀があるのか。これは竪堀ではなく、直線の切通道なのかどうか。良く分かりませんが、私はどうしてもこれに思えて仕方がありませんでした。

『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』の一場面より
山城渡りQ
山城渡りQ

これにしか思えません。。。

第四望楼

石の階段

戦国の山城でもたまにあります。確か、記憶では長野の砥石城で見たことがあります。確かにあった。花崗岩を加工した階段。これは、石工のこだわりだと思います。今となっては、皆さん、横を通っているようですが、

そこはきちんと通ってあげるのが、礼儀というもの。とても通りやすかったです。

第三望楼

武者隠し?

さて、第三望楼から第二望楼までの間にいろいろ気付きがあります。まずは、この「武者隠し」のような場所。加工されており、兵を隠すのにちょうど良いです。しかし、これが、既に1250年前にあったのかは不明です。中国式なのですから、そんな武者隠しのような知識があったのかどうか。

土塁 見張り台?1

途中から列石順路ではなく、内側のコースを歩かされるですが、そこは、まっすぐ列石を追いかけて茂みの中を進みました。すると、小高い丘ような場所がありました。しかも手前は、平坦加工がされおり、平らです。

その奥には、円形の土塁があります。中心部は陥没していました。上に屋根を付ければトーチカ様の見張り台ぐらいになると思います。

引用元:国土地理院ウェブサイト(当該ページ)を当ブログ管理者Qさんが加筆修正したものである(スマホで拡大可能) 

この場所は、非常に重要です。もう一方、谷から上がってくるルートもありまして、その三方合流地点となります。ここは、重要拠点。「望楼」とはなっていませんが、横の平坦地が非常に怪しいと感じました。地下に礎石があるのではないでしょうか。

古代人のノミのあと

また、山中にこのような花崗岩ありました。何気に気になり、裏を覗くと

山城渡りQ
山城渡りQ

びっくり

無数のノミ跡がありました。こんなに多数の跡は珍しいと思います。トンネルや、岩石を掘り進む際に、観音彫りとかで跡が残ることはあっても、これは、石切り場としての跡でしょうか。

その下は、綺麗に石切りがされておりますので、上の物は、良く分かりません。

土塁 見張り台? 2

再び、このような土塁がありました。ちょうど角になった部分にあります。

土塁道を進みます

第二望楼

第二望楼までは、このような1m弱の列石があります。

分岐点 いよいよ戦国ルートが始まる 

ここが一つの分岐点です。ここからガラッと雰囲気が変わります。実際、戦国時代の再活用もこの辺りからではないでしょうか。

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