石川

【石川県】七尾城(2/4)七つの尾 限界を攻めた石垣技術 日本五大山城 

基本情報

※令和6年(2024年)能登半島地震の影響により調度丸跡以降は当面の間立ち入り禁止

 形態:山城
 史跡指定:国指定史跡
 標高:305m
 城の整備:駐車場 登城道
 所要時間:3時間(麓から登ったため)
 訪問日:2011年7月

登城ルート

引用元:国土地理院ウェブサイト(当該ページ)を当ブログ管理者Qさんが加筆修正したものである(スマホで拡大可能)

いよいよ城内へ 

旧案内図に加筆

いきなり現れるし!石段と石垣

特徴的な岩石です。丸い。河原から拾い上げたような岩石

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何段にも積み上げられている。すごい!

この積み上げ方は、当時の技術の限界を攻めている。そのために、何段にもなったのでしょう。これは、岩村城の有名な「六段石垣」と似ています。

調度丸 有名な写真ポイント

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多くのメディアで紹介されるのはこの角度ですよね。

山城Q
山城Q

この岩は、見た感じいろいろ混じっている気がする

タイプが違う三段石垣~本丸へ

看板が豊富で迷うことはありません。

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そうしますと、全く傾向が違う三段石垣が現れます。これは、前田家時代に造られたということです。

本丸からの眺望

七尾湾!絶景

ここの碑は、南向きに立っているために、どうしても写真では逆光になる。いつも画像が暗いです

本丸の土塁と石垣

山城Q
山城Q

ここは逃してはいけません

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本丸土塁かと思いきや

実は石垣なのです。ここは当時のモノでしょう。これは普通は気が付かない。

遊佐屋敷と桜の馬場に降り、二の丸へ

この縄張り図を見てみると、良く分かることがあります。それは、

山城Q
山城Q

城主と家臣の立場は対等

ということです。

この七尾城は、室町時代から続く古いタイプの巨大山城となりますが、古いのは城だけではなく、城主と家臣の関係も織田家のような縦の関係ではなく、盟主としての城主の存在があります。

そのため、家老屋敷が城主と近い位置にあるのです。

この盟主と、立場が平等というのは、観音寺城でも見ることができます。現在では、会社は完全な縦関係ではありますが、この時代はそうではなかったということが分かります。

温井屋敷から二の丸へ行く

鏡石の九尺石

これは、巨大です。枡形虎口とされる場所にあります。

※この後に災害があり、辺りは再整備がされております。ですので、この画像は以前のモノです

最大堀切 二の丸~安寧寺まで

二の丸に急な階段が付けられており、降りると

城内最大規模の堀切にたどり着きます。ここは凄い。

三の丸

安寧寺跡の戦没者慰霊碑

七尾攻城戦の戦没者などを祭った慰霊碑があります。

気付き

この城の魅力は、一回ではお伝えできません。この城はいわゆる「織豊系城郭」のように技巧的に考えられ、いかに攻めづらいかを追求した山城ではありません。

この城が持つ歴史・規模・眺めから醸し出される

山城Q
山城Q

王者の風格

を持った「The 山城」だと考えています。雰囲気は、観音寺城や春日山城に近く

山城Q
山城Q

ゆっくり散策できます。

日本五大山城のひとつ

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